■入手当時のこと
When I purchased

●アメ車不人気時代
 私が初めてのマイカーとして'89カマロRSを入手した1990年ごろのことを記しておきたいと思います.アメ車の評判はどん底に近い状況でした.「品質が悪い,燃費が悪い,故障しやすい」というのが大方のユーザーの認識だったと思います.
 しかし,人気がないとはいえ,わずかの好事家が細々とアメ車を楽しんでいた時代だったと思います.

●1980年代
 少しさかのぼる1983年頃,日本車の品質の高さが米国内で認知され,いわゆる洪水のような対米自動車輸出が始まって話題になりました.「ジャパン・バッシング」と称して,米国の自動車産業の労働者らが集まって日本車をボロボロに打ち壊して火を放つ映像がテレビで紹介されていました.1983年頃には「月曜日と金曜日に製造された米国車を買ってはいけない」といわれていました.実際,都内で外車を見かけることがあってもたいてい欧州車で,アメリカ車は稀でした.欧州車は高級車,アメ車は少々オツムの悪い好事家が買うものというのが一般の認識でした.「xx年版 間違いだらけの輸入車選び」なんて書籍での評価もさんざんなものでした.
 1980年代後半にシボレー・アストロ/GMCサファリによるミニバン・ブームが日本にも上陸し,対抗して日本メーカーもミニバンを発売しはじめました.


 

●1990年ごろ
 日本のバブル景気はピークに達し,日本企業が米国の名だたる不動産をあぶく銭に任せて買い占めて有頂天になっていた頃です.米国自動車産業は,1980年代半ばにどん底を脱し,トヨタ自動車のジャスト・イン・タイム方式や日本企業の「カイゼン」を学んで少しずつ回復していた頃です.
 1989年末に日本経済は株価の暴落が起こりましたが,おおかたの評論家の見方は楽天的でした.まだ「バブル景気」などという言葉もなかったように思います.
 車庫法の改正直前であり,駐車場は住居地から半径500m以内でないと車庫証明がでない時代です.当時,大田区に住んでいましたが,最初に借りた月極め駐車場は月々68,000円でした.それより安いところがいくつもありましたが,向こう数年以上も予約が入っていて,借りられない状況でした.
 近所で1台だけ3rdカマロがいましたが,それは大きな邸宅の駐車場にある数台の車の1台でした.私が'89RSを入手してまもなくアメ車雑誌のDaytonaマガジンが創刊され,所ジョージのデイトナTVが始まると,シボレー・アストロ/GMCサファリ・バンで到来したミニバン・ブームとともにや3rdカマロも人気が高まりました.そして近所の駐車場で3rdカマロを何台か見かけるまでになりました.




●1990年代前半
 当時インターネットはなく,情報源は雑誌ぐらいでした.日本GMは1973年の法人登記以来,休眠会社のままで法人活動をしていない時代です.1990年頃のGM車のディーラー販売は,ヤナセが独占していました.何も知らない私は,純正ディーラーで程度の良い中古車を買うことができました.初めてのマイカーが5リッターのV8,左ハンドルだったので最初は戸惑いましたが,すぐに慣れ,映画でしか見たことのなかったV8サウンドとV8フィーリングを味わうことができました.しかし,すぐに気持ちは暗転しました.純正ディーラーに車検をお願いしたところ,部品代が高いのはまだしも,目玉が飛びださんばかりの工賃には何度も驚かされました(^^; 部品代の何倍もします(^^; 「なんじゃ,こりゃー!?」です.
 当時はDelcoのサイド・ターミナル・バッテリー75A72だって4万円以上しました(今や1万円弱ですがね).75A72は米国内では72ヶ月間(6年間)のマネーバック・ギャランティー付きで販売されているのに,日本国内ではそれもなく,純正ディーラーでは新車から3年目で交換されてしまいました.何の不調もないのに…まぁバブルの余韻さめやらぬ時代で,純正ディーラーもやりたい放題だったのでしょう…(ーー# 車検の工賃はその数倍とられました.まだ改正ユーザー車検制度が始まる前でしたから,車検前整備が必須の時代でした.もちろん税金・諸費用は別途請求されましたよ(--; ふつうの自動車整備業者はアメ車に悪いイメージをもっているので引き受けてくれません.市中のアメ車業者は,いかにも信頼できない風体の業者ばかりで安心して任せられません.結局,自分でDIY整備して,ユーザー車検に挑戦するしかないと腹をくくりました.

 少しでも安く…というか,せいぜい国産車+α程度の維持費用でアメリカンV8を楽しみたい!それはできるはずだし,やってみようッ!そうして少しずつDIYに挑戦し続けてきました.

●こつこつDIYの始まり
 最初は日本の雑誌の記事とHaynesの車種別英文DIYマニュアルぐらいしか情報がありませんでした.雑誌広告を見て,米軍座間基地そばの有名パーツ・ショップに行ったのですが,そこはチューニング・パーツが中心で,メインテナンス部品の品揃えは不満足なものでした.そこの店長にあれこれ尋ねたら,"You should get and read the genuine service manual."とアドバイスしてくれました.で,純正ディーラーにサービス・マニュアルを入手したい旨を相談したのですが,取り扱っていないとのことで断られました.
 結局,米国GM本社へ国際電話で尋ねて,GMOC(GM Overseas Operation)の東京オフィスの電話番号を教えてもらい,GMOCからGM純正サービス・マニュアルの注文書を郵送してもらいました.そして,送金為替を東京銀行(当時)で作成してもらって,電話帳より分厚いサービス・マニュアルを米国から取り寄せることができました.わずか35ドルでした.送料+送金為替の作成手数料のほうが高くついたことを思い出します.米国内では,こんなに詳しい情報を入手できるのに,当時の日本の米国車ユーザーで,これらの情報を手にしていた人はわずかだったろうと想像します.純正サービス・マニュアルは,現在もHelm社から購入できます.今ならウェブ・サイトで注文し,クレジット・カードで決済すれば1週間ぐらいで入手できます.
 純正サービス・マニュアルは信頼できる情報の宝庫でした.しかし,いかんせん純正部品の入手ルートは純正ディーラーか,ディーラーよりは安いけど値段の高い国内のパーツショップ,さもなくば平日に業販しかしていない輸入部品商に限られていました.

●21世紀はインターネット・ベースでDIY
 1994年ごろからモデム経由でインターネットに接続することができるようになりました.しかしまだ役立つ情報を公開しているサイトはわずかでした.
 21世紀に入っても,しばらくはめぼしいサイトに巡り会えませんでした.アメ車を楽しんでいるサイトの大半は,多かれ少なかれドレスアップや改造の自慢話が内容であり,メインテナンスや修理のための技術情報を公開しているサイトにはお目にかかれなかったからです.
 しかし2003年にKIDさんが主催する「F-body保存会」のホームページを見つけてから認識が変わりました.米国留学中にF-bodyと出会い,米国のDIY文化を存分に披露し,アメリカ車を技術的に楽しむユーザーが集う場を提供してくださっていました.そしてユーザー同士がDIYに関する情報を交換し共有していました.これこそ私が求めていたサイトでした.
 '90カマロRSのハイ・アイドル問題(原因はタコメータ不良でした)に関して,同サイトの掲示板で貴重なアドバイスを先達の皆様からいただくことができ,メカに手出しできなかった私も少しずつメカをいじれるようになり,現代のガソリン・エンジンの仕組みを理解できました.この場を借りて御礼申し上げます.

 さて,F-body.jpのようなサイトはそれまで日本にありませんでした.そもそも日本の輸入車ユーザーの多くはディーラー任せで,DIYメインテナンスをしようにも,情報も物もありませんから,個人がお金と時間を費やしてこつこつ努力するしかありませんでした.世の中にはF-body.jpに集う諸兄のようにDIYに長けた方々もいらっしゃるでしょうが,これといって自動車業界にコネクションのない私のような者にとって,インターネット文化が普及する前は,そのような方々と知り合える場は無いに等しい状況でした.しかし現在では,輸入車のDIYメインテナンスと技術に関するウェブ・サイトが欧州車を中心にいくつもあります.本場アメリカではwww.thirdgen.orgのように,すでにF-body関係の有力なポータル・サイトとして機能しているところもあります.

 

 インターネットは,マスメディアに登場する機会がほとんどなかったマイナー文化と少数派に発表の場を与え,同好の諸氏が交流する機会を作ったといわれます.また,世代を越え,地域や国境を越え,時間をも乗り越えて,動画を含むマルチメディアを使って双方向に交流できるというインターネットの特質は,まだその能力の一部が利用され始めたにすぎないと思います.
 産業革命に匹敵するといわれるインターネット革命は,まだ緒についたばかりです.これからも様々な革新が繰り広げられることでしょう.

 これまで自分でできる簡単な作業までディーラー任せだった私ですが,インターネットで情報を発表してくださっている諸兄や,インターネットを通じて知り合った諸兄のおかげでDIYメインテナンスを楽しむことができるようになりました.
 私のようにDIYに目覚めてアメ車ライフを楽しむ諸兄が少しでも増えることを願っております.(^^)v



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